夢の入り口までは連れて行ってあげてほしい【持論】

こんにちは、いったです。

 

突然ですが、私の夢は世界平和です。

もちろん自分の力だけで出来るとは思っていませんし、死ぬまでに達成できるとは思っていません。

 

ではなぜこんなことを言っているのかというと、夢を「叶えたいもの」ではなく、諦めたくないもという位置づけにしているからです。

 

子どものころの夢って?

私は10数年前から世界平和を夢にしています。半ば言い続けているために愛着がわいて、もうちょっとやそっとでは変えられないような気持ちです。

 

しかし、子どものころの夢、というとあきらめた前提で話が進むことが多々あります。

 

これはなぜなのでしょうか?

 

私の持論では、夢に対して愛着が湧かなかったからだと思っています。そしてその原因は、大人や社会からは抽象的な情報しか手に入れられないからではないかと。

 

例えば、子どもが「お花屋さんになりたい」と言ったとします。

それに対して、「じゃあお花の勉強いっぱいして、お金もためないといけないねー、一緒にがんばろう!」と返します。

 

子どもの~~になりたい!は一過性のもので、頻繁に変わることはよくあることですが、この返され方ではその”夢”に対しての愛着がわきません。

 

今は何でもできる

お花屋さんは将来まで待たないとできない仕事でしょうか?

今の時代はそんなことはないはずです。自宅でお花を育てて売るもよし、買ったものをアレンジするもよし、ドライフラワーハーバリウムのようにしてもいいですよね。

 

愛着が湧くかはわかりませんが、少なくとも子どもは自分で”夢”といったことの疑似体験(疑似でもありませんが)ができると思います。

 

学校の先生でもそう、消防士でもそう、警察官でもそう。すべての仕事は体験できなくても、その職業のひとがやっていることの疑似体験はいくらでもできます。

 

体験施設に行くわけではありません。例えば

・夢が学校の先生

習った範囲を説明する動画をとってためておいて、友達や近所の年下の子に見せる。

・夢が消防士や警察官

夕方、毎日一緒にパトロールに行く。困っている人を助ける。

・夢がE-Sportsの選手

戦っている動画を動画サイトにあげてみる。

 

などなどです。

 

夢はあっても心配、なくても心配

子どもが夢を持っていないと将来のことを心配してしまいます。反対に日ごろから口に出す夢があっても、それが難しそうなものや想像できないものでは余計に心配になったりします。

何かをしたいといったとき、本当にその道で大丈夫か、本気なのかというのは気になるところです。

 

だからこそ、今の時代の特徴を生かして、体験させまくってみたらいいと思います。

 

お店屋さんであれば損得勘定は必須ですから、「これにいくらかかってこれがこう売れたね」とやれば算数の勉強もできます。

 

公務員系の仕事(教師、警察など)であれば、どうしたらみんなに喜んでもらえるかを考えたりすることで心情理解の練習にもなります。

 

お父さんお母さんの負担も確実に多くなることは間違いないですが、たぶん、めっちゃ楽しいと思いますよ。

 

子どもとって夢とは

子どもが「夢」という言葉を使って表現するとき、それは行き方のわからない場所のことです。見えているのに道がわからないこともあれば、見えてすらいないこともあるでしょう。

 

そんな子どもにとって未知の世界である「夢」の場所を、お父さんお母さんは見に行くことはできます。大人パワーにかかれば、どの辺にあるのか、どんな道があるのかくらい調べることなどちょちょいのちょいです。

 

その夢の入り口に、ぜひ連れて行ってあげてください。

こんな道絶対無理だと思うものこそ、早いうちに見に行ってください。

 

子どもは小さい頃は体が柔らかいので、転んでも大きなけがはしません。そして、そんなに本気じゃなかったら転んだとたん泣いて引き返してきます。

しかも、その道の転び方と転びやすいところは学んで帰ってきます

 

メリットばかりな気がしてきませんか?

 

きっかけの一歩先へ

感受性が豊かな子どもは、いろんなところからきっかけを拾い集めてきます。

その一歩先へ、夢の入り口まで、導いてあげてください。

 

 

あ、そういえば

確か、親子連れ無料キャンペーンをやってた気がします。