英才教育の話【持論】
こんにちは、いったです。
本日は持論なのでちょっと短めに。
英才教育ってありますよね。一般的に、小さいころから何かに打ち込ませるみたいな感じで使われます。
あれって実際どうなんだろうっていう疑問について書きます。
効果について
これは間違いなくあるでしょうね。大学生から初めて全国大会!なんて話も聞かないことはないですが、ごくごく稀なパターンですよね。もしくはマイナーなスポーツならあり得るかもしれません。
ただよく英才教育といったときに見るのは、ピアノ,バイオリン,テニス,外国語などでしょうか。最近では右脳を鍛える教室も流行っていますね。
いわゆる「いいとこの子どもさん」みたいなイメージのものが多そうです。こういうイメージがあるってことは効果が出ているんでしょう。
「小さいころからピアノ習ってるけど左手と右手一緒に動いちゃうんだよね」
なんて子は少なくとも私の周りにはいませんでした。
将来への影響
これも十分に考えられます。もちろんその道のスペシャリストになることも考えられますし、そうでなくてもきっと役に立つ部分はたくさんあると思います。
例えば、周りから目に見える評価を受けることで自尊心が高まったり、きつい練習をやりぬいたという自負から(心身ともに)体力がつくかもしれません。
就活なんかでも高評価がもらえるかもしれませんね。
ひっくるめた私の意見
ということで、肯定し続けてきた英才教育ですが、ポジティブに見えたこれらの意見はすべて保護者目線であったことに気づいたでしょうか。
もちろん、自尊心があり体力があり、いい生活ができている状態が悪いと思う人はあまりいないでしょうから、子どもにとっても英才教育が悪いとは言えないでしょう。
しかし、個人的には、それで面白いかなと思ってしまいます。
ユーモアの提案の記事をご覧になられた方はわかるかもしれませんが、私は死ぬときに面白い話をして死にたいと考えているタイプなので、すべてが成功してしまう人生にはちょっと面白みがないかなと感じます。
言ってしまえば最初から攻略本を見ながら進まされている人生のようなもので、初めてやるゲームなのに「序盤でこのアイテムとったほうがいいよ」といわれたら冷めますよね。
ゴールを目指すことが最高なら、おそらく人間の遺伝子に怠惰な要素はいらないでしょう。
過程が大事だとか、たどり着いた先がゴールなんだとか、7000万回くらい言われてそうなセリフを言うつもりはありません。
楽しかったなあ、でもあんときのあれが心残りなんだよな、ちくしょうちょっともう一回人間やるか
って終わりたいです。たぶんそんなやつがまた生まれてきてます。
でもだからこそ回ってるんだと思います。その辺の道を歩くだけで笑える人はすぐ見つかります。
英才教育して微笑む家庭も十分素敵です。ただ私は、どんなどん底でもボロカスに笑ってあげられる世の中がいいです。
比べず、そのままを笑ってやりましょう。