睡眠の効果を上げるには【リモートワークはチャンス?】

こんにちは,いったです。

お久しぶりの投稿になってしまいました。

 

今回は睡眠についてです。

 

私は昔から寝るのが好きで,いつでもどこでも寝られるタイプなのに,運動会の前日などは全く寝られなくなってしまう典型的な子どもでした。

 

子どもの睡眠習慣と同じように,もちろん大人の睡眠習慣も大切です。

 

昼間に「今日は眠いな~~」となる日,ありますよね。あれには睡眠時間や睡眠の質だけじゃなく,起き方も関わっているようです。

 

今回はそんな起き方についてのお話です。

ベッドで寝ている男性

起き方の種類

睡眠にはいろいろな要素が関わっています。レム睡眠とかサイクルとか,そんな言葉はよく耳にすることがありますよね。

 

今回取り上げるのは睡眠中の話ではなく,睡眠からの覚醒の仕方の違い,つまり起き方の話です。

 

起き方には大きく分けて3種類あります。

1.強制覚醒

 他者や目覚まし時計など,外部からの刺激で強制的に起こされるものです。多くの人がこのタイプの起き方だと思います。

2.自己覚醒

 あらかじめ起きる時間を決めておき,その時間に道具を頼らずに起きるという起き方です。たまに,

 楽しみすぎて目覚ましより早く起きちゃった!

ということがありますが,あれに似ている感じです。

 

狙ってできるの?と思うかもしれませんが,実は練習するとできるようになるんです。

 

起きる時間をあらかじめ決めてから眠ると,予定時間の1時間ほど前から,起床を予期するようにホルモンが分泌されることが分かっています。

 

また,習慣的に自己覚醒を行っている人は,日中の眠気が少ないことも研究で明らかになっています。

3.自然覚醒

 その名の通り,自然に起きるという起き方です。道具も使わず,起きる時間も決めず,いわゆる「何にも邪魔されないで」寝るというやつですね。

 

休日をだらっと過ごしたいときには,この起き方をやりがちですね。

 

どの起き方が一番いいのかと言われると,一言では言い切れません。

ただし,自己覚醒を練習することは日中の疲労度の低減につながるという研究があります。 

 

自己覚醒の効果

日ごろ自己覚醒の習慣がない大学生を対象に行った研究によると,自己覚醒の訓練を7日間行い,最終日に日中の疲労感のテストを行ったところ,強制覚醒条件に比べて疲労感が有意に少ないことが明らかになりました。

 

ただし,期待されていた日中の眠気の低減には有意差がありませんでした。

 

実は,慣れていない人が自己覚醒を試みると,入眠するまでの時間が伸びたり中途覚醒の増加などが起こりやすくなります。したがって,短期的には睡眠の質を低くしてしまう恐れがあります。

 

実験では,訓練期間が7日間と短かったため,

自己覚醒による眠気の減少ー睡眠の質の低下=有意差なし

 という式ができてしまったのかもしれません。

 

しかし,7日間の訓練でも疲労感を低減出ることができたのは事実です。

気分良く目覚めた男の子

自己覚醒の訓練 

自己覚醒の恩恵を受けるには,少し訓練期間が必要です。寝づらかったり,狙った時刻に起きることに失敗する可能性もあります。

 

最悪の事態を免れるために目覚まし時計をセットすることはしてもよいですが,それでも訓練には何週間かを要するでしょう。

 

リモートワークや子どもの夏休み期間は,通常時より朝に余裕があると思います。

 

この機会を利用して自己覚醒を練習し,疲労や日中の眠気の低減を目指してみませんか?

 

ところで,

休日の昼間,予定より多めに寝ちゃうと,とたんに人生を無駄にした気分になるのはなぜなんでしょうね。

 

参考文献

池田 大樹・林 光緒(2012). 自己覚醒が日中の眠気に及ぼす影響 心理学研究,83,1-9.

 

学校が性役割意識を生んでいるのか?(差別について,後編)

こんにちは、いったです。

 

ジェンダーという言葉をよく聞くようになって久しいですが、性について悩む人は昔からいました。

 

しかしこうした言葉が流布しないうちは、性別による差があって当然だというような意識がはびこっていたことがあります。

 

今回は、このような性差についての意識は学校が作ったのか?という話です。

 

小学校の先生の性別への意識

今回参考にした論文は約30年前のものですが、その時点ですでに大方の先生は個人主義を主張していました。

 

男だからこう、女だからこうという意識はおかしいという変革の兆しはあったようです。

 

しかし、実際には「男の子はうるさいから」や「女の子のほうがおとなしい」など、性別カテゴリーでまとめたような発言も見られたようです。もちろん、個人主義を掲げていた先生もです。

 

ではなぜ性別カテゴリーを意識してしまうのでしょうか。

 

便宜としての性別

学校という場では、班分けや背の順、番号順といった便宜的に利用される分け方のもとのようなものがいくつかあります。

 

しかし、特に小学校の低学年の児童たちは、目で見てぱっとで分かるものでないと行動が難しいことがあります。

 

そんな時、「男の子は左、女の子は右でーす」と声をかけると動きやすいという共通認識があるようです。

 

今となってはこの声掛けすら物議を醸しそうですが、百歩譲って、指導しやすいという意味で使うことはありだとします。

 

性別カテゴリーの乱用の影響

例えば今日の○○は女の子でやりましょう!のように、男女で分けなくてもよいものについても、指導のしやすさを理由に男女カテゴリーを使用することがあります。

 

先生の間ではそれで問題はなかったとしても、子どもたちはどうでしょう。

 

無意識レベルで、男と女は違うものなんだという考え方が植え付けられていきます。

 

これに周りと違うことを注意される学校の体制が加わると、男女という二択では分けられないセクシャリティを持つ子供たちは、必然的にマイノリティになります。

 

学校においてマイノリティはいまだネガティブな意味を持つでしょう。

 

こうして、子どもたちの中に性役割感が育っていってしまうのです。

 

子どもたちとジェンダーを考える

子どもたちと話すとき、ジェンダーが何通りもあることを説明しているでしょうか。

 

子どもたちにとっての社会は、そのほとんどが学校と家庭です。

 

そこに所属する人々が、マイノリティを積極的に理解することなしに、子どもたちの常識は学校という組織体制に飲まれていくでしょう。

 

はっきりいってジェンダーについてはハード面の整備でどうにかできる問題ではないでしょう。

 

大人が、「当然」のなかにアップデートされたジェンダー意識を持てるかどうか、がし役割意識を変えるカギになると思います。

 

教えるのではなく、教えられるくらいの気持ちで。

 

差別について(前編,持論)

こんにちは、いったです。

 

今回はセンシティブな内容ですね。あまり触れないつもりでしたが、思うところがあったので書いてみます。

 

デジタル大辞泉によると

 

 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。

 

とあります。

 

一般的に差別といったら2の方の意味でしょう。

 

今回差別について考えたことは2つです。

1.内的な差別

2.差別の未来について

 

以下で1から順に述べていきますね。

 

1.内的差別

なんという言葉を使っていいかわからないので内的差別という言葉にしました。

簡単に言うと、いわゆる差別までいかなくても、心の中で感じてしまう感覚のようなものです。

 

「女の子っぽい悩みだな」とか「男勝り」とか「女々しい」みたいなものって基準に男女のステレオタイプがありますよね。

 

低く扱うという気持ちがなくても、受け取る側からすると差別的な目で見ていると思われても仕方ないんです。

 

ただ、これだんだん表意文字消えてくんじゃないかって気がしてます。

 

日本語のキャラクターって言ったらいいですかね。文字に含まれてる根本の意味みたいなものがあると、どんなに気を遣って言葉を選んでも言葉として見てもらえなくなりそうです。

 

2.差別の未来について

黒人差別デモで取り上げられていた男性の言葉に

 

俺には5歳の息子がいるが、未来は変わりそうにない

 

というものがありました。

 

十数年前のデモの時も、今も力で対抗している。

そして今のデモのやり方を見たら、今の若者たちもそうするだろう。それはやめてほしい。

 

そういった意味の言葉の中で発された一節です。

 

特に、未来は変わりそうにないという言葉がずしっと来ました。

 

正直、今ある差別の問題がなくなったとしても、差別自体がなくなるとは思えません。

 

気付いてしまうんです。

 

なにか他に私が傷ついているのではないかと探して、大きめの傷から順に見つけてしまうんです。

 

心理学的な感覚でいえば、セルフ精神分析とでもいえるでしょうか。

 

抑圧された感情を、自ら探し当てるような感じです。

 

たぶんそれって差別じゃないんでしょうけど、みんなが似たような体験していて、他に上手な言葉がないから差別になっているんだと思います。

 

ハラスメントとかも似たようなものかもしれません。

 

差別についての持論

言いたいことは、差別じゃないんだから騒ぐなではありません。

 

むしろそれだけ、世の中にだれかがアンフェアだと感じることが多かったのでしょう。

浮き彫りになることは悪いことではありません。

 

言いたいことは、目的論で考えませんか?ってことです。

 

どうすれば幸せなのか、を考えたいんです。

 

これがある限り不幸だ、ということもあるでしょう。でもこれがある限り、どういう感情になるから不幸なんでしょうか。

 

その”これ”を徹底的に叩くことは幸せにつながる行為なんでしょうか。

 

デモをしたり、何かに反対運動をしているときは団結感が生まれ、社会に高揚感が生まれるイメージがあります。

 

いま我々は幸せに向かって動いているのだという感じがします。

 

それは、相手が差別とか、病原体とかじゃないといけませんか?

 

もっと笑いてぇぇぇぇぇとかの行進じゃだめですか?

 

NHKの受信料なくせ!! じゃなくて

NHKこんな番組頼む!! こんなんが好きなんだ!!

 

ってほうがなんか素敵じゃないですか?

 

今のままじゃ5歳の子どもも、マイナスしか見ないまま育っちゃいますよ。

 

今のままで未来、変わりますかね?

 

 

 

私はゲラなんでたぶん死ぬまで笑っときます。

一緒に笑ってくれるひと、増えたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

音楽聞きながらの勉強って結局どうなの?

こんにちは、いったです。

 

音楽を聴きながら何かをする、ということってありますよね。

 

好きな曲を聴きながら家事をしたり、テンションの上がる曲を聴きながら出勤したり、リラックスする音を聞きながらお風呂に入るというのも聞いたことがあります。

 

これらは、時間を紛らわせるため、元気を出すため、落ち着かせるためなどプラスの効果があるのはなんとなく感覚で分かると思います。

 

でも、勉強しているときに音楽をかけるのってどうなんでしょう。

 

ちなみにアルバイト先の塾では、基本的に禁止されています。学校などでもたいていの場合望ましくはないとされているところが多いと思います。

 

一般的には集中が削がれ、学習効果が下がると言われていますが、実際のところどうなんでしょうか。

音楽を聴く男性

 

音楽を聴くと集中力は上がる?下がる?

普段から音楽を聴きながら勉強をしている大学生(以下ながら君)と普段は音楽を聴かずに勉強をしている大学生(集中君)を対象に実験した結果、ながら君と集中君ともに気が散ってしまうことが分かりました。

 

集中できるから音楽を聴いてる、という理屈は言えないみたいです。

 

ではどうして音楽を聴くほうがいいと感じるひとがいるのでしょうか。

 

適した環境かどうか

音楽を流すことで多少なりとも気が散ることはわかりました。

 

しかし、その環境が適しているかどうかは人によって異なるということも明らかになっています。

 

家族の集うリビングで勉強できるタイプと、自室でスイッチを入れないと勉強できないタイプがいる、というと想像できると思います。

 

つまり、少々ノイズがあり気が散る要素があるほうがかえって心地が良いタイプと、完全に自分だけの世界に入れるほうが心地がいいタイプがいるのです。

 

後者は外界の音に敏感とも言えますね。

 

勉強の効果に差はあるの?

ここまでくると、適した環境で勉強したほうが効果があがるという結果が待っていそうですが、今回の実験ではそうはいかなかったようです。

 

4つの条件(ながら君×音楽,ながら君×無音,集中君×音楽,集中君×無音)に分けて、簡単な記憶課題を課したところ、なんとすべての条件で統計的に有意な差がないことが分かりました。

 

音楽をかけていることが勉強に影響しない、という驚きの結果になりました。

 

結局音楽は聴いてていいの?ダメなの?

結論から言えば、人による、ということになります。

 

確かに今回の研究では影響しないという結果になりましたが、世の中の勉強には暗記以外のものもあり、深い理解を要するものもあります。

 

そういった際、頻繁に気が散っていてはたまりません。

 

結局のところ、音楽がいいとか悪いとかの問題ではないのです。

 

むしろ適した環境を見つけることが、勉強に取り組める時間を長くしたり学習効果を上げるためのカギになるでしょう。

 

ながら勉強を頭ごなしに否定するのではなく、その環境があっているのかを吟味してあげるようにしてみてもいいかもしれません。

 

 

ちなみに私は歌がかかると歌ってしまうので、東宝シネマズの上映前にかかるBGMを聴いて勉強することがあります。おすすめです。

 

参考文献

菅 千索・後藤 順子(2008). 計算および記憶課題に及ぼす BGM の影響について――被験者の「ながら」習慣の違いに関する検討―― 和歌山大学教育学部教育実践総合センター紀要, 18, 59-68.

 

 

英才教育の話【持論】

こんにちは、いったです。

 

本日は持論なのでちょっと短めに。

 

英才教育ってありますよね。一般的に、小さいころから何かに打ち込ませるみたいな感じで使われます。

 

あれって実際どうなんだろうっていう疑問について書きます。

 

効果について

これは間違いなくあるでしょうね。大学生から初めて全国大会!なんて話も聞かないことはないですが、ごくごく稀なパターンですよね。もしくはマイナーなスポーツならあり得るかもしれません。

 

ただよく英才教育といったときに見るのは、ピアノ,バイオリン,テニス,外国語などでしょうか。最近では右脳を鍛える教室も流行っていますね。

 

いわゆる「いいとこの子どもさん」みたいなイメージのものが多そうです。こういうイメージがあるってことは効果が出ているんでしょう。

「小さいころからピアノ習ってるけど左手と右手一緒に動いちゃうんだよね」

なんて子は少なくとも私の周りにはいませんでした。

ピアノを弾く女の子

将来への影響

これも十分に考えられます。もちろんその道のスペシャリストになることも考えられますし、そうでなくてもきっと役に立つ部分はたくさんあると思います。

 

例えば、周りから目に見える評価を受けることで自尊心が高まったり、きつい練習をやりぬいたという自負から(心身ともに)体力がつくかもしれません。

 

就活なんかでも高評価がもらえるかもしれませんね。

自信満々の男の子

 

ひっくるめた私の意見

ということで、肯定し続けてきた英才教育ですが、ポジティブに見えたこれらの意見はすべて保護者目線であったことに気づいたでしょうか。

 

もちろん、自尊心があり体力があり、いい生活ができている状態が悪いと思う人はあまりいないでしょうから、子どもにとっても英才教育が悪いとは言えないでしょう。

 

しかし、個人的には、それで面白いかなと思ってしまいます。

 

ユーモアの提案の記事をご覧になられた方はわかるかもしれませんが、私は死ぬときに面白い話をして死にたいと考えているタイプなので、すべてが成功してしまう人生にはちょっと面白みがないかなと感じます。

 

言ってしまえば最初から攻略本を見ながら進まされている人生のようなもので、初めてやるゲームなのに「序盤でこのアイテムとったほうがいいよ」といわれたら冷めますよね。

 

ゴールを目指すことが最高なら、おそらく人間の遺伝子に怠惰な要素はいらないでしょう。

 

過程が大事だとか、たどり着いた先がゴールなんだとか、7000万回くらい言われてそうなセリフを言うつもりはありません。

 

 

楽しかったなあ、でもあんときのあれが心残りなんだよな、ちくしょうちょっともう一回人間やるか

 

 

って終わりたいです。たぶんそんなやつがまた生まれてきてます。

 

でもだからこそ回ってるんだと思います。その辺の道を歩くだけで笑える人はすぐ見つかります。

 

英才教育して微笑む家庭も十分素敵です。ただ私は、どんなどん底でもボロカスに笑ってあげられる世の中がいいです。

 

比べず、そのままを笑ってやりましょう。

笑顔の難民家族

 

 

早寝早起き朝ごはんはできていますか?

こんにちは、いったです。

 

子どもには規則正しい生活を送ってもらいたいですよね。

 

個人差によって脳の活動が活発な時間帯に差があるという説もありますが、学校が決まった時間にある以上、睡眠不足では全力が出せません。

 

では、早寝早起き朝ごはんができている子はどんな特徴があるのでしょうか。

 

早寝早起き朝ごはんができている子

時間の使い方を見てみると、早寝早起き朝ごはんができている子ども(以下,規則君)はできていない子ども(以下,不規則君)に比べてメディアの使用時間に使用時間が短いことが分かりました。

また、学習塾の時間も平均して短いことから、塾通いは寝る時間をやや遅らせてしまう傾向もありそうです。

 

しかし、規則君は学校の成績の面では不規則君たちと変わらず、むしろ部活動にかける時間は多くなっているということがわかりました。

 

少なくとも学校生活においては,規則君のほうが効率的に時間を使えていそうですよね。

 

早寝早起き朝ごはんができる子の習慣

規則君は、早寝遅起き朝ごはんの子どもたちと比べて決定的に違う習慣があります。

 

それは、朝は自分で起きているということです。

 

また、時間を無駄に使っていると感じることやもっとゆっくり過ごしたいと感じる割合も、ほかの子どもたちと比べて低くなっています。

 

このことから、規則正しい生活は心の健康にもつながっていることが分かります。

 

子どもの集中力への影響

できる君はその他の子どもたちと比べて、やる気が起きない,あきっぽい(集中力がない)などの項目の点数が低いことが分かりました。

 

つまり、早寝早起き朝ごはんと子ども集中力の間には、関係があることが示唆されます。

 

また、都市部の子どもたちほど早寝早起き朝ごはんができていない傾向が強く、人口の小さい市町村であるほどできる君が多いということもわかっています。

 

「最近の子どもは集中力がない」といわれるときの最近の子どもとは、都市部にすんでいる子どもたちのことかもしれませんね。

 

早寝早起き朝ごはんを身に付けるべき?

冒頭にも述べたように、最適な時間の使い方には個人差があります。

そのため一概に、早寝早起き朝ごはんがいいとは言い切れないのは確かです。

 

しかし仮に、遅寝遅起きであっても、十分な睡眠を確保して規則正しい生活をすることの大切さは変わりありません。

 

毎日決まった時間から学校がある小学生~高校生は、朝の始業時間を選ぶことはできません。そのため規則正しい生活生活を送ろうと思ったら早寝早起きをすることになります。

 

絶対正しいとは言いません。どうしても朝起きるのは難しい人もいます。

 

だから、一度やらせてみて、しんどそうでなければおススメするくらいでいいかなと思います。

 

現代では、早寝早起き朝ごはんは絶対の標語ではありませんが、学校教育との相性はよいです。少なくとも、挑戦する価値はありそうですね。

 

 

なんだか今回立場が定まらなかったですね。というのも私がブログを更新する時間がAM2時くらいなんです。遅寝遅起きです。許してください。

 

参考文献

岡部 悟志(2009). 「早寝早起き朝ごはん」ができている子どもの特徴とその家庭環境 研究所報 / Benesse教育研究開発センター [編], 55, 58-70.

 

「褒める」の手抜きはバレている

こんにちは、いったです。

 

誰かを褒めるのって意外と難しいと思うときありますよね。

 

自分と異なる立場・考え方の人や、専門的な知識を持っている人、憧れる人を褒めることはさほど難しくないですが、ご機嫌取りの場面になると途端に大根役者が現れてしまいます。

 

一方、子どもを褒める場合はどうでしょう。

できるようになったとき、あきらかにある分野のセンスがあるなと思ったときなど、褒めポイントはたくさん浮かぶと思います。

 

しかし、岩手大学が小学生を対象に行った調査によると、「褒められている」ということを認知しにくい子どもたちがいることがわかりました。

 

教育現場(家庭含む)では意外と大きな問題で、この点を理解していないと、ひいきしていると感じてしまう子もいるかもしれません。平等に褒めているつもりでも、子どもたちにとっては、褒められていると感じていないことがあるのです。

 

つまり、褒めている(と思っている)回数と褒められている(と思っている)回数が一致していないということもあり得るのです。

はてなを浮かべる男の子

褒められていると感じることと感じないこと

では、「褒め」の感じにくい子どもたちは、一体どんな時に褒められていると感じるのでしょうか。

 

セリフの例

「先月は分数の問題が10問中3問しかできていなかったけれど、今日は8問もできているね!よく頑張ったね!」

「○○さんが掃除を担当した場所はほこりが一つもなくて、本も順番通りに並べられていて丁寧だね!」

「○○さんは難しいテーマの話し合いでも積極的に意見を言っていてすごいね!」

 

これらは「褒められている」セリフです。

 

このように、”褒められている”と感じる褒めセリフには

1.変化を指摘する 2.具体的である 3.努力してきたことを指摘する

という要素が含まれていることが分かります。

 

また、ほぼ必須の条件として ”子どもの意図に沿っている” 必要があるということが明らかにされました。

 

これらの条件を守らない褒めセリフの例は以下のようなものです。

 

 「昨日の授業、上手に出来ていたね!」

「給食当番きちんとできて偉いね!」

「○○さんの意見、びっくりしたよ!みんなに紹介してもいいかな?」

 

こんな風に、褒められたと感じない褒めセリフには

1.主語が不明確 2.抽象的である 3.ルールを守ったことを指摘している

という要素が含まれているものです。

 

このようなセリフを言われたとき、子どもたちは

「何について言っているんだろう」

「先生(お母さん/お父さん)はそう思ったんだ」

「やるのが当たり前なのになにがすごいの?」

と思っています。

 

何が、どんなふうになったことが、どうすごいのか

が入っていない褒めは、褒めの本来の機能を有していないので、手抜きの褒めといってもよいでしょう。

 

褒めるときだけ見ていればいいわけじゃない

ご覧いただいた通り、褒めの手抜きはバレます。

 

小手先で絞り出した褒め言葉は、心が伝わらないどころか嬉しくもありません。

 

子どもたちのことをいつも見ているからこそ、変化に気づけ、努力が分かり、具体的なエピソードを添えて伝えることができるのです。

 

たくさん見守っていることを言葉にして伝えてあげるためにも、”褒め”には全力で取り組んでみてください。

 

 

ここまで読んでいただけた方は、今回私がどこを努力したか、分かりますよね。

 ” 褒め ” お待ちしております。

参考文献

金野 浩二・山本 奬・大谷 哲弘(2019). ほめられたと思いにくい子供はどのように支援するとほめられたと思うのか? 岩手大学大学院教育学研究科研究年報, 3, 147-155.